瑯邪台
青島
瑯邪台瑯邪台は青島市内からバスで2時間ぐらいかかる郊外に位置しています。湾岸高速で直接いかれますし、フェリーを利用して黄島経済開発区経由で行っても便利です。(フェリーなら勿論天気の影響を考えなければいけません)。
瑯邪台は3000年の歴史を持っていて、春秋時代の越王勾践はここで都を設立したかったそうです。いまでも彼を記念する望越楼と銅像があります。
紀元前221年、秦の始皇帝は諸国を滅ぼして、全中国を統一しました。山東省にある斉の貴族の反乱を抑えるため、3回西安から山東省へ視察にきました。泰山で封禅の儀を行い、瑯邪台に来ました。土で山に高大な台を作って、海神と太陽神を祭る宗教活動を行いました。また、後世に自分の功績を伝えるため、瑯邪刻石を作りました。本物は現在中国歴史博物館に保存されています。(同じ時代の類似する泰山刻石は泰山麓の岱廟に保存されています)内陸育ちの始皇帝は海風景に感動され、ここで三ヶ月住んでいました。斉国出身の方士徐福は始皇帝と会って、「海上には仙人の住んでいる島があり、陛下の為、長生きの薬を求めに行かせてください」と報告しました。その当時,神仙説はとてもはやっていましたので、始皇帝はこの話を堅信してて非常に喜んで、大量のお金を出して、船を作らせました。徐福は3000人を連れて海に入って、戻らなくなりました。結局日本に行って、住み始めたそうです。この話は司馬遷の史記に詳しく記録されています。ここは徐福の出発点だそうです。 頂上には台基遺跡、始皇帝石像、望越楼、勾践銅像、御路などの遺跡があります。海辺には船に淡水を提供するための地下水道も発掘できました。
始皇帝瀛政(前259~前210)
秦王政。秦の始皇帝(Shihuangdi)。在位前247~前210。秦の荘襄王の子。母は趙姫。実父は呂不韋との説もある。幼少時には父とともに人質として趙にいた。荘襄王の三年(前247)に父の跡を継いで即位した。はじめは呂不韋に政治を専断されたが、成人すると彼を斥けて親政した。将軍・王翦らを用いて、韓・趙・魏・楚・燕・斉を次々と滅ぼし、中国を統一した。自ら始皇帝を名乗り、朕と自称し、天下を三十六郡に分けて統治した。蒙恬に匈奴を討たせ、オルドスを攻略。また万里の長城や阿房宮など巨大な土木工事をおこなわせた。焚書坑儒などの思想統制も大規模におこない、また度量衡を統一した。東方巡狩中、沙丘の平台で病没した。
徐福(?~?)
徐市ともいう、字は君房。斉の人。方士。不死の薬を求める始皇帝の命により、東方海上にあるという蓬莱山を求めて船団を出立させた。莫大な財宝と少年少女数千人を載せた船団の行き着いた先は定かでない。日本の和歌山県新宮市には徐福の墓とされるものが残る。朝鮮半島・米大陸渡来説も存在する。
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